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Channel: しばちゃんのグルメタルの館
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「DEEP PURPLE CALIFORNIA JAM 1974」の映像ソフトと映像機器の変遷2

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皆さん、こんばんは!

前回のブログの続きです。

18000円もの大金をはたいて(笑)、購入した「ディープ・バープル ライヴ 1974」のビデオですが、人生で初めて購入した映像ソフトだった事もあり、何度も繰り返し観ました !照れ

何と言っても動くリッチー・ブラックモア、DEEP PURPLEのライヴが観れる訳ですから当たり前ですよね 音譜

当時は第三期DEEP PURPLEが誕生したばかりで、アルバムはBURNしかリリースされていなかったので、Smoke on The WaterとラストのSpace Truckin´以外はBURN アルバムからの曲の演奏でしたが、BURN アルバムが名盤だった事もありとても楽しみました。
(^-^)v

ただ、リッチー・ブラックモアやジョン・ロード、グレン・ヒューズに比べてボーカルのデビカバはまだまだ素人くさいと言うか初々しいパフォーマンスが印象に残りましたね。

更に、若き日のデビカバの声はブルージと言うか、後年になって喉のポリープの手術する前の声は、何か喉に引っ掛かった声(あくまでも個人の感想です)様な声質のせいもあって、こんなもんかな?と言う感想でした。←私は大のイアン・ギラン派…ウインク

また、当時のVHSビデオソフトの音声とアナログテレビの音声の限界もあったと思います。

そして、当時のデビカバはライヴの時に時々、フラットな歌い方をするので、余計に素人くさい様に感じたかもしれません。

あの名盤「白蛇の紋章」が1987年に世界的に大ヒットして、ロックスター然としたデビカバとは声質・歌唱・ステージアクションを比べると別人の様ですよん!
(私はボーカリストでもなんでもないのに偉そうに言ってすみません。)

それに対してベース&ボーカルのグレン・ヒューズのパフォーマンスは加入したばかりと思えない程、堂々としていました。

リッチー・ブラックモアに対抗したみたいに白の衣装を着て、若き日のジョン・サイクスの様なルックスで長髪を振り回してのパフォーマンスは、かなり目立っていました。

テレビカメラもリード・ボーカルのデビカバよりヒューズを追っかけていた様に感じるくらいです。

リッチー・ブラックモアがグレン・ヒューズに『お前のステージの居場所はここだ!俺に近付くな!』と言ったと言うのも納得するくらいですね。

Space Truckin´の後半のギタークラッシュとステージの炎上あたりからはリッチー・ブラックモアの1人舞台でしたが、それまではグレン・ヒューズもリッチー・ブラックモアに負けないくらい目立っていた様に思います。

この様に、擦りきれる程に観たビデオでしたが、1980年代の末頃にはビデオソフトより画質の良いレーザーディスクが本格的に普及して来て、どんどんと音楽ソフトもレーザーディスク化していったのです。

最近の若い人は映像ソフトと言えば、DVDかBlu-rayになると思いますが、私が大学受験に失敗して浪人している時期叫びの1981年にレーザーディスク(LD)がP社から発売されました。

レーザーディスク(LD)は再生専用の映像ソフトで、大きさもLPレコードくらいあったので、「絵の出るレコード」と呼ばれていましたね。

LDは水平解像度が400本以上あったので、ビデオソフトより画像が綺麗でした。
ピックアップがレーザーによる非接触方式だったので、半永久的にディスクが劣化しないと言われたのです。

同じ様な再生専用の映像ソフトには1983年に発売されたVHDがあって、家庭用ビデオデッキと同じβ方式とVHSと同様の規格争いが起こりました。

結局、ビデオデッキでは勝利したV社が、再生専用映像機器では敗れてP社のレーザーディスクが勝利したのでした。

LDが勝利したのはCD(コンパクトディスク)
とのコンパチブル機器を開発したのと、カラオケの普及だったと思います。

規格争いに敗れたVHDは接触式のセンサーだったので、ディスクの劣化がLDに比べて発生した様です。

私が実際に経験したのは、大学時代にバイト先の社長(親方)に連れて行ってもらったスナックのカラオケの映像が、飛びまくって乱れて全く唄えなかった事がありました。
スナックのママ←当時の私の母親と同じ年齢くらい(笑)が言うには
『うちのカラオケ機器はVHDなので、タバコのヤニなんかで、ディスクの表面が汚れるので画像乱れるのよ!ショボーン』との事でした。

VHDは接触式のセンサーだったので、レコードで言う所の埃による音飛びをしていたのです。

対して非接触方式のLDはカラオケ機器にどんどん採用されていきました。

通信カラオケが普及する前は、カラオケボックスに行けば、オウムのマークがお店の入口にあって、そのカラオケボックスがレーザーディスク・カラオケを置いているのを表していたのを私と同世代の人は覚えていると思います。

カラオケボックスの室内にはレーザーディスクのオートチェンジャーがドンと場所を取って、ありましたよね?(笑)

そして、発売当初は高額だったレーザーディスクもCDとのコンパチ機器の発売とレーザーディスク・カラオケの普及により価格が安くなって来ました。

そのお陰で、私も1992年に自宅にカラオケ機能付のCDコンパチブル・レーザーディスクを6万円弱の価格で購入出来たのでした。←勿論、ボーナス一括払い!(笑)


そうなって来ると、既にビデオソフトを持っているにも関わらず、より綺麗な音声でより綺麗な映像をみたいと言う悪い欲求が、私に生まれて来たのでした。口笛



あっ、レーザーディスクが…(爆)



これも知ってる方は知ってる様にカリフォルニア・ジャムに関係あるよん!



長くなったので、続きます…




では、またね (⌒0⌒)/~~





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