皆さん、こんばんは!
2017年に入って、私はライヴ参戦が激減しているので、ここ最近のブログは東北地方の仕事の出張(2~3月は秋田県への出張が多かったッス)での出来事や食べログばかりになってしまっていますね。![ニコニコ]()
と思っていると4月5日に発売されるメタル専門誌BURRN!5月号の表紙と特集は
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元DEEP PURPLE、元RAINBOWのリッチー・ブラックモア師匠になっている様です。![照れ]()
この事は昨年19年振りにハードロックに回帰したライヴをして
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その時のライヴ映像が昨年の11月に発売されたり、ハードロック回帰の余波もあるのか
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1974年のDEEP PURPLE(リッチー・ブラックモア)の伝説のライヴ「カリフォルニア・ジャム」のリマスターされた映像が昨年の11月に発売されて、リッチー・ブラックモアの周辺が騒がしくなった影響もあると思います。
私にとって、このカリフォルニア・ジャムの映像はとても思い入れがありますので、今回のブログはこの映像ソフトの歴史をご紹介したいと思います。
なので、今回のブログはDEEP PURPLEやリッチー・ブラックモアやHR/HMに興味のない読者の皆さんはスルーして下さいね。
m(__)m
1974年4月6日にアメリカでカリフォルニア・ジャムが開催され25万人の大観衆を集めて大成功をおさめたのはロックファンの間では有名なお話ですよね![音譜]()
DEEP PURPLEはそのベッドライナーを務めたのですが、私がその事を知ったのは以前ブログでも紹介した「リッチー・ブラックモア狂気の雷舞(ライヴ)」と言う単行本を読んだ時でした。
その本には大観衆の前でスゴい演奏をして、特にリッチー・ブラックモアはギターのネックをテレビカメラのレンズに突き刺し、マーシャルアンプが炎につつまれ…云々とハチャメチャなパフォーマンスした事が書かれていました。![びっくり]()
当時は正規の音源がリリースされていなかったので、その頃、高校生の私は、なけなしのお小遣いで一部が収録されたブートレッグ(海賊盤)を買ったりしていました。
そして、大学生の頃(1984年頃?)にライヴ映像を流す音楽番組の中でDEEP PURPLEのカリフォルニア・ジャムの一部が紹介されたのです。
丁度、SPACE TRUCKIN´の映像が出て、リッチー・ブラックモアがギターのネックをテレビカメラのレンズに突き刺しで、ギターを壊して、マーシャルアンプが炎上するシーンも放送されました。
(^▽^;)
その映像を観た時にリッチー・ブラックモアの事を『スゴいなぁ~♪』と思って興奮したのを覚えています。
(この人、頭がおかしいのとちゃうん?とは決して思いませんでしたよ!(爆) )
それから暫くして、レコード店に行くと
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このカリフォルニア・ジャムのビデオが店頭の鍵のかかったショーケースに並んでいたのです!![おねがい]()
何で鍵のかかったショーケースに並んでいたかと言うと
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18000円と滅茶苦茶、高額だったのです。当時、大学生の私には高嶺の花ですよね。
その上、そもそも私の自宅にはビデオデッキがまだ無かったのです。![ガーン]()
私と同じ世代(私は54歳)の方ならご存知の通り、ビデオデッキはS社さんが製造していたβ方式とV社さんが開発したVHS方式が規格争いをしていて、家庭用のビデオデッキはまだまだ高額で、庶民には手が出なかったのです。
そして、規格争いにVHS陣営が勝利してビデオデッキの値段が少し下がって来ました。
大学を卒業して社会人になった私が最初の冬のボーナスでやっと買えたのが、VHSビデオデッキだったのです。
(最初の夏のボーナスは入社間もなかったので、殆ど支給されない為、買えませんでした…
)
それでもそのビデオデッキは20万円以上した記憶があります。値段が下がったと言ってもまだまだ高額商品でした。![あせる]()
これでやっと我が家(結婚前だったので実家)に家庭用ビデオデッキがやって来たのです!(笑)
その頃のビデオソフトは先程紹介したカリフォルニア・ジャムの値段でも分かる通り高額だったので、レンタルビデオ屋さんで借りるのが主流でした。
ところが、当時のレンタルビデオは映画かエッチ
な物ばかりで、音楽ソフトは殆どなくて、洋楽はあってもビートルズとかの一般ウケする様なビデオしかなかったと記憶しています。![ムキー]()
なので、仕方なく、これまたなけなしのお給料から
カリフォルニア・ジャムを収録した「ディープ・バープル ライヴ1974」を
遂に18000円を出して購入してしまったのです。
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チープな解説書ですが、キーボードのジョン・ロードが現ホワイトスネイク、ドラムのイアン・ペイスが現ゲイリー・ムーアになっているのが、時代を表していますね。
リッチー・ブラックモアのギタークラッシュと炎につつまれるステージを「プロレスなみの迫力」と表現しているのが面白いですね。
≧(´▽`)≦
このビデオソフトが私が人生で初めて買ったソフトになりました。
そして、この1本の音楽ソフトが、私のこの後の人生において大きな影響を与える事になったのです。
(このソフトにハマらなかったら、少しは貯金出来たかもしれません…(爆) )
ところで、当時の東映ビデオはハードロックに力を入れていて、過去ブログでも紹介した「RAINBOW JAPAN TOUR 1984」や
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私の大好きなBLACK SABBATH LIVE
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(これも15800円と当時のビデオソフトはどれも高額ですね。)
発売したりしていました。
3本目に購入したのは東映ビデオからではありませんが
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ワーナーから発売された「レッド・ツェッペリン 狂熱のライヴ」でしたが、これも1万円以上したと思います。
当時の私にはDEEP PURPLEとBLACK SABBATHとLED ZEPPELIN の3大ハードロックバンドは外せなかったのです
(笑)
それから、暫くはハードロックバンドのVHSビデオばかりを購入していましたが、ある時期からVHSビデオより更に映像が綺麗なレーザーディスク(LD)が世の中に普及して来たのです。
あっ、何でこんな所にカリフォルニア・ジャムのレーザーディスクが…(笑)
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長くなって来たので、続きます…
では、またね (⌒0⌒)/~~
2017年に入って、私はライヴ参戦が激減しているので、ここ最近のブログは東北地方の仕事の出張(2~3月は秋田県への出張が多かったッス)での出来事や食べログばかりになってしまっていますね。

と思っていると4月5日に発売されるメタル専門誌BURRN!5月号の表紙と特集は

元DEEP PURPLE、元RAINBOWのリッチー・ブラックモア師匠になっている様です。

この事は昨年19年振りにハードロックに回帰したライヴをして

その時のライヴ映像が昨年の11月に発売されたり、ハードロック回帰の余波もあるのか

1974年のDEEP PURPLE(リッチー・ブラックモア)の伝説のライヴ「カリフォルニア・ジャム」のリマスターされた映像が昨年の11月に発売されて、リッチー・ブラックモアの周辺が騒がしくなった影響もあると思います。
私にとって、このカリフォルニア・ジャムの映像はとても思い入れがありますので、今回のブログはこの映像ソフトの歴史をご紹介したいと思います。
なので、今回のブログはDEEP PURPLEやリッチー・ブラックモアやHR/HMに興味のない読者の皆さんはスルーして下さいね。
m(__)m
1974年4月6日にアメリカでカリフォルニア・ジャムが開催され25万人の大観衆を集めて大成功をおさめたのはロックファンの間では有名なお話ですよね

DEEP PURPLEはそのベッドライナーを務めたのですが、私がその事を知ったのは以前ブログでも紹介した「リッチー・ブラックモア狂気の雷舞(ライヴ)」と言う単行本を読んだ時でした。
その本には大観衆の前でスゴい演奏をして、特にリッチー・ブラックモアはギターのネックをテレビカメラのレンズに突き刺し、マーシャルアンプが炎につつまれ…云々とハチャメチャなパフォーマンスした事が書かれていました。

当時は正規の音源がリリースされていなかったので、その頃、高校生の私は、なけなしのお小遣いで一部が収録されたブートレッグ(海賊盤)を買ったりしていました。
そして、大学生の頃(1984年頃?)にライヴ映像を流す音楽番組の中でDEEP PURPLEのカリフォルニア・ジャムの一部が紹介されたのです。
丁度、SPACE TRUCKIN´の映像が出て、リッチー・ブラックモアがギターのネックをテレビカメラのレンズに突き刺しで、ギターを壊して、マーシャルアンプが炎上するシーンも放送されました。
(^▽^;)
その映像を観た時にリッチー・ブラックモアの事を『スゴいなぁ~♪』と思って興奮したのを覚えています。
(この人、頭がおかしいのとちゃうん?とは決して思いませんでしたよ!(爆) )
それから暫くして、レコード店に行くと

このカリフォルニア・ジャムのビデオが店頭の鍵のかかったショーケースに並んでいたのです!

何で鍵のかかったショーケースに並んでいたかと言うと

18000円と滅茶苦茶、高額だったのです。当時、大学生の私には高嶺の花ですよね。
その上、そもそも私の自宅にはビデオデッキがまだ無かったのです。

私と同じ世代(私は54歳)の方ならご存知の通り、ビデオデッキはS社さんが製造していたβ方式とV社さんが開発したVHS方式が規格争いをしていて、家庭用のビデオデッキはまだまだ高額で、庶民には手が出なかったのです。
そして、規格争いにVHS陣営が勝利してビデオデッキの値段が少し下がって来ました。
大学を卒業して社会人になった私が最初の冬のボーナスでやっと買えたのが、VHSビデオデッキだったのです。
(最初の夏のボーナスは入社間もなかったので、殆ど支給されない為、買えませんでした…

それでもそのビデオデッキは20万円以上した記憶があります。値段が下がったと言ってもまだまだ高額商品でした。

これでやっと我が家(結婚前だったので実家)に家庭用ビデオデッキがやって来たのです!(笑)
その頃のビデオソフトは先程紹介したカリフォルニア・ジャムの値段でも分かる通り高額だったので、レンタルビデオ屋さんで借りるのが主流でした。
ところが、当時のレンタルビデオは映画かエッチ


なので、仕方なく、これまたなけなしのお給料から

遂に18000円を出して購入してしまったのです。


チープな解説書ですが、キーボードのジョン・ロードが現ホワイトスネイク、ドラムのイアン・ペイスが現ゲイリー・ムーアになっているのが、時代を表していますね。
リッチー・ブラックモアのギタークラッシュと炎につつまれるステージを「プロレスなみの迫力」と表現しているのが面白いですね。
≧(´▽`)≦
このビデオソフトが私が人生で初めて買ったソフトになりました。
そして、この1本の音楽ソフトが、私のこの後の人生において大きな影響を与える事になったのです。
(このソフトにハマらなかったら、少しは貯金出来たかもしれません…(爆) )
ところで、当時の東映ビデオはハードロックに力を入れていて、過去ブログでも紹介した「RAINBOW JAPAN TOUR 1984」や

私の大好きなBLACK SABBATH LIVE

(これも15800円と当時のビデオソフトはどれも高額ですね。)
発売したりしていました。
3本目に購入したのは東映ビデオからではありませんが

ワーナーから発売された「レッド・ツェッペリン 狂熱のライヴ」でしたが、これも1万円以上したと思います。
当時の私にはDEEP PURPLEとBLACK SABBATHとLED ZEPPELIN の3大ハードロックバンドは外せなかったのです

それから、暫くはハードロックバンドのVHSビデオばかりを購入していましたが、ある時期からVHSビデオより更に映像が綺麗なレーザーディスク(LD)が世の中に普及して来たのです。
あっ、何でこんな所にカリフォルニア・ジャムのレーザーディスクが…(笑)

長くなって来たので、続きます…
では、またね (⌒0⌒)/~~