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ディープ・バープル&リッチー・ブラックモア 関連本①

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皆さん、こんばんは!


前回のブログの最後に書いた様に今回は、私の持っているディープ・バープルとリッチー・ブラックモアの関連本をご紹介させて頂きます!
(^-^)v


今回もHR/HMに興味のない方はスルーして下さいね!



先ず最初にご紹介するのは、1976年3月に発行された


『ブリティッシュ・ロックの王者:紫神=ディープ・バープル』

です。恐らく、この本はDEEP PURPLEを特集した日本で最初の単行本だと思います。


私と同じくらいの50歳前後のDEEP PURPLE やHR/HMファンなら多くの方がこの本を手にした事がありますよね♪(笑)


この本が発行された当時は、第4期DEEP PURPLEがまだ存在していて、前年の12月の来日公演直後に発行されたので、結構、売れた様ですよ。


現在の様にネットが発達していない頃なので、雑誌やこの様な本が海外のアーティストの動向を知る貴重な情報源でした。


今から読み返すと、DEEP PURPLEの名前が決定したエピソードやデビカバ加入の経緯などは、如何にもチープな小説みたいな感じですが、中学生当時の私は実話だと信じていましたよ!(爆)


また、今、読み返すとそれなりにデータや内容に不備や間違いもあります。


でも、中身は当時のメンバーのデビカバやリッチーの後任のギターリスト、トミー・ボーリンのインタビューや、メンバーの来日公演の使用楽器が掲載されていたり、巻末に廃盤になっていたレコードを含めて音源を紹介する等、興味深い記事が多かったですね!

更に


海賊盤/BOOTLEG も紹介されていると言う画期的な内容もありました。


私は、この本でBOOTLEGの存在を知って、海賊盤を購入する為に、新宿レ○ードさんに通販をお願いしたりする様になりましたよ。


今でも、BOOTLEG=プライベート盤=コレクターズ・アイテムを購入していますが、そのきっかけになったのは、この単行本の記事だと思います。


そして次にご紹介するのは、1976年12月に発行された


『ディープ・バープル写真集
写真と詩が交錯するディープ・バープルの世界』

です。この本は日本で発売されたDEEP PURPLE 初の写真集です。この写真集も私と同じくらいの年代のファンなら手にした事があると思います。


この写真集の特徴は、各ページに代表曲の歌詞の日本語訳が載っている事です。



曲によっては、歌詞があまりにチープなので笑ってしまいましたよ!
(^○^)



これまで紹介した2冊の本は第4期DEEP PURPLEの解散前後の単行本ですが、1977年11月に


『リッチー・ブラックモア―狂気の雷舞(ライヴ)―』

が発行されました。


この本は、DEEP PURPLEやこの本の発行当時はRAINBOWのギターリストだったリッチー・ブラックモアを取り上げた最初の単行本ですね!


実は、DEEP PURPLEが初来日するまでは、メンバーの中ではボーカルのイアン・ギランの人気が高かったそうです。


恐らく、初来日のライヴを収録したDEEP PURPLE Live in Japan がリリースされるまでは、第2期DEEP PURPLEはオーケストラとの共演のライヴ盤を除いては
IN ROCK~EIRE BALL~MACHINE HEADのスタジオ盤3枚が発売されていただけなので、まだアルバムに収録された楽曲しか知らない訳ですから、リッチー・ブラックモアのライヴの破壊力を日本の観客は知らなかったのです。


また、1972年頃の日本では、まだまだロックバンドではボーカリストの人気が高かったのもギラン人気の一因だと思います。


このイアン・ギランの写真は、1980年頃のギラン時代のブロマイドです。


リッチー・ブラックモアが

『イアン・ギランが二枚目だったので後任のボーカリストも二枚目でないといけない!』

と言って、第3期DEEP PURPLEのボーカリストになったデビカバを改造させたのは有名なエピソードですよね!(笑)


やはり、イアン・ギランの男前も日本での人気の大きな理由だと思います。
(このブロマイドはB5サイズですが、私もこのギランの写真はカッコいいなぁ~♪と思って大学時代にRock Shopで買ってしまいまたよん…(笑))


第2期DEEP PURPLEの初来日のライヴ前に開場を待っていた観客の多くは

『イアン・ギランはスゴいなぁ~』

と語っていたそうですが、ライヴが終わって帰途に着く頃には、観客の多くは

『リッチーはスゴい!(笑)』

に変わっていたそうです!(爆)


それから、日本での人気は、イアン・ギランからリッチー・ブラックモアに移って、DEEP PURPLE 脱退後もRAINBOW人気が高くて、遂に日本で初のリッチー・ブラックモア単独の単行本が発行されたのでした。


この『リッチー・ブラックモア―狂気の雷舞―』は、『ブリティッシュ・ロックの王者:紫神』より更に史実に基づいて、観客的に描かれていて資料も正確になっている様です。

また、文章も読みやすいですね!


巻末のディスコグラフィーは、リッチー・ブラックモアのDEEP PURPLE加入前の音源も掲載されていて興味深いですよ!
(^-^)v


ただ、本文の方で


第2期DEEP PURPLE のHR/HMに路線変更した最初のシングルBLACK NIGHTを全英2位でなく、全米で2位と記載するなど誤記というより、意図的な記載変更を感じさせますね!


実は、DEEP PURPLEはシングルBLACK NIGHTやアルバム IN ROCKは本国イギリスで売れたのに、アメリカでは話題にならず、発売当初はIN ROCKはチャートの150位くらいだったそうです。


続くEIRE BALLは全米で32位、次作のMACHINE HEADもMade in JapanからシングルカットされたSmoke on the Waterが売れてから連動してチャートを上がり始めたそうで、本国のイギリスに比べて人気は今一だったそうです。



でも、日本ではDEEP PURPLEはLED ZEPPELINと人気を二分していたので、アメリカでは人気が今一と書けなかったのか?何か『意図的な』記載ミスの臭いを私は感じますね!


プロのロックジャーナリストが全米チャートと全英チャートを普通は間違えないでしょう?(爆)



更に


RAINBOWのスタジオアルバム第2弾の『RISING』の巻末レビューでキーボードのトニー・カレイの事をスタジオミュージシャンを使って云々と秘密をすっぱ抜いた様に書いています。


確かにRAINBOWのライヴを観た事のある方にトニー・カレイのプレーは良くなかったと聞いた事がありますが、その後のトニー・カレイが確か『プラネットP』とか言うプロジェクトでスペイシーなアルバムを大ヒットさせてから、スタジオミュージシャンを使ってのくだり云々は聞かなくなりましたよ!(笑)



あと、この本ではリッチー・ブラックモアがAC/DCのライヴを観て『最低!』と酷評したエピソードが載っています。


リッチー先生が最低!と言うくらいだからAC/DCは最低なんかな?と思い込んだ私は、AC/DCのアルバムをまともに聴いた事のない変なメタラーになってしまいました!(爆)
(;´д`)



そうは言っても『リッチー・ブラックモア―狂気の雷舞―』は、リッチー関連の書籍としては良質な方だと思います。



この本に関してはDEEP PURPLE の再結成後の1986年12月にリッチー・ブラックモア●ディープ・バープル編とレインボー編の2冊に別れて再編集して発売されました。


リッチー・ブラックモア●レインボー編


ディープ・バープル編は、狂気の雷舞の内容とほぼ同じなので購入しませんでした。


そして、この再編集されたレインボー編では、先程書いたトニー・カレイではなく、スタジオミュージシャン云々の記載は何事もなかった様に削除されていたのでした。
(^○^)


このリッチー・ブラックモア●ディープ・バープル編とレインボー編は更にその後、文庫化されて発売されましたよ!



わぁー、その①だけでこんなに盛りだくさんに書いてしまいました!
(+_+)



その②以降はもう少し、ピッチを上げますね!



続く…




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